ネパール人との1年間強制シェアハウス①ネパール人家を失う

「レイ!家がナイヨー!」

「どういうこと?」

「家がナクナッタヨー!」

「もう少し具体的に」

「家を間違エテ解約シタヨー!」

「OK、全くわからん」

こうして彼は家を失った。

この意味不明の電話の発端となったのは、2ヶ月前の大学のトイレである。




大学3年生の夏、私は大学のトイレで用を足していると、横にいたネパール人に用を足しながら話しかけられた。

「ココの大学の人デスカ?」

私は用を足しながらそうだと答えた

「イイデスネーw」

彼は用を足しながら笑顔でそうかえした。

彼の名はナレンドラ。
「ナレン」と呼んでほしいとのこと。

話を聞くと、日本の大学に入学したく、私の所属する大学が第一志望、来年には入学したい。現在、日本語語学学校で勉強中、とのことだった。

唐突ではあるが、皆様ご存知の通り、私は非常に優しく紳士的である。
キャンパス見学をしているであろうご家族を見かけたら「せっかくなんで案内しますよ」と声をかけ、解説付きで各校舎や図書館案内し、希望学部を聞き、受験の参考にと、その学部の知り合いまで紹介するぐらいの紳士なのである。

もう、紳士協会からいつ「ぜひ会長になってほしい」と言われるのかドキドキの毎日を送っているほどの紳士である。

ということで用を終えた紳士こと私は、同じく用を終えたネパール人ナレンを引き連れて、キャンパスを案内してあげた。

紳士協会会長も時間の問題であろう私は、もちろん案内だけでは終わらず、日本語の勉強を近くのカフェで簡単に行い、さらにはナレンの名前を漢字で作り、それをプレゼントしてあげた。

彼はそれをひどく気に入ってくれたらしく、連絡先を交換し、何度か飲み行ったし、私の1人暮らしの家に泊まったこともあった。

なんといい話なのであろう!
偶然出会った2人のキャンパスドラマはきっと宝石のようにキラキラした綺麗な思い出になるに違いない!(出会った場所は汚いが)




ウルルン滞在記のような涙あり、感動ありのハッピーエンドを望んでいたが、残念ながらこれはテレビの話ではないし、さらに残念なことに、私は残念の星の元に生まれた残念星人である。




ナレンとの出会いから約2ヶ月後、家で携帯をいじっていたら見たことない番号から電話がかかってきた。


とりあえず電話に出る。


「れい!家がナイヨー!」


焦り、悲しみ、この世の終わり、そういった感情を鍋でぐちゃぐちゃにしたような声が、電話の向こうからきこえた。


「どういうこと?」


『家がナイ』という言葉を人生で初めて聞いた私は、ナレンの家が全焼でもしたのか、隕石でも落ちたのか、と心配半分、理解不能半分という状態だった。


「家がナクナッタヨー!」

「もう少し具体的に」

「家を間違エテ解約シタヨー!」

「OK、全くわからん」


携帯ですら誤って解約なんてないのに、家を解約するなんてわざと以外じゃ不可能である。


「というかどこから電話してるの?」

「お金ナクテ携帯解約ナッタカラ、公衆電話カケテル」


こいつ漏れ無く携帯まで解約してるじゃねぇか。あらゆる解約を行なっていやがる、解約大臣かこいつは。

しかし、紳士協会日本代表の私は、解約大臣の身を案じ、私の家に来るように伝えた。

家を解約なんて、きっと日本語でうまく表現できていないだけで、別の理由があるのだろう。

とりあえず泊まる場所に困っているのなら、家ぐらい提供してやろう。

バファリンの半分は優しさでできているというが、私は全てが優しさでできているのである。もう、辞書で「優しさ」と引くと、同意語の欄に「れい」と載っているぐらいに優しいのである。




ただ、「優しさ」は必ずしも「正しさ」ではない。


友人を信じるのは優しい。
友人を信じるのは正しい。
ただし、「家をなくした」と喚く友人を盲目的に信じるのは愚かだ。




1年後の朝、4名の警察が私の家の呼び鈴を鳴らすその時まで、私は自分の愚かさに気づけないでいた。



続く

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どんなに落ち込んだ人も「自分の人生まだマシなんだ」って思えるくらいに残念で失敗まみれの男の話。暇つぶしにどうぞ。

酒と女とセックスが好き。ヒモになりたい